2008年7月21日月曜日

那智勝浦の続き・・那智の大滝、松坂牛弁当






仕事で訪れた那智勝浦・・漁業の町だが、素晴らしい自然に囲まれた美しいところなのだ。

これまでにないマグロの凍結方法を開発した脇口水産の視察なのだ、まぐろの細胞を壊さない凍結法で、家庭で普通に流水解凍するだけで、生マグロの味わい、食感が得られるのだ。実際に目の前で解凍してもらったが、ドリップが全くでない。生マグロのねっとりとした食感と香りを感じた。脇口社長はこの技術を広めて、近海マグロの勝浦ブランドを確立したいのだと言う。頑張って欲しいものだ。

さて、仕事は仕事として、せっかく6時間半もかかけて、こんな素晴らしいところに来たのに、このまま帰ったのでは悔やむに悔やまれない、とは言え、足となる車は無いし・・と思っていたのだが、脇口社長が那智の滝へ連れて行ってくれる事になった。

脇口さんの空き時間ができるまで、営業の垣下さんに隣町の太地町まで連れて行ってもらった。ここは鯨の町として有名なところで、20数年前、作家のC・W・ニコル氏が「勇魚」を書くために1年間住み着いた町だ。そこにある7年来のお付き合いがある「くじらの一番仲買、〆谷商店」の〆谷社長の顔を見に行った。

お店はお休みだったが、最近の太地事情など聞かせてもらった、最近ではグリーンピースだのしーウルフだのが捕鯨には大反対しているが、太地ではいまでも鯨漁が行われている、少数民族の伝統的な漁法として認められているのだ、とは言っても、16艘の舟に限られ、年間の捕獲量は決められているそうだ。今は休漁期で、9月から再開されると言う、主に追込み漁である、沖から鯨の群れを入り江に追い込むのだ、網で囲い込み、セリに出す前に絞められると言う・・・絞めると言っても、鯛を絞めるのとは訳が違う、入り江は真っ赤に染まると言う、今は常駐している捕鯨反対団体の人や観光客に見られないように早朝に行うらしい・・・この辺、くじら好き(見るのも、食べるのも)の僕は複雑な気持ちになる。

獲られる鯨はハナゴンドウくじらが多いと言う、小さな鯨で少々癖があるが、地元の人はミンククジラなどよりくじらっぽくて美味しいと言う。それにしても小学生の頃、給食にくじらの立田揚げがでると嬉しくて、美味しくて・・・しかし、いまでは高級食材になってしまった。飲み屋で鯨ベーコンなど、頼むとびっくりするような値段を取られる。

そうそう、話しはそれるが初めてくじら(尾の身)の刺身を食べたのは30数年前にさかのぼる、アルバイトしていた代々木上原の小料理屋の仕入れで築地へ通っていた。お店に出すために鯨も買ったが、当時ですら上等の鯨の尾の身は本マグロと変わらない値段だった事を覚えている。お店で食べさせてもらった尾の身の刺身・・それはそれは美味しかった、ルイベ状態で生姜醤油で食べるのだが、舌の上でとろけるのだ、上品な脂肪の旨さと、マグロとは違う、ほ乳類の香り、くじらってこんな美味しいんだと感動した。そのころはナガスクジラのものだったと思うが、今ではほとんどがミンククジラの身だ、一昨年か調査捕鯨のナガスクジラやホッキョククジラの身が出回ったっことがあったが、やはり、ミンククジラとは比べ物にならない旨さなのだ、もっと安く食べられるようになれば良いのに・・・

美味しいものの話しになると理性も何も無くなってしまう、長くなってしまった。

本題に戻す。太地町に寄った後、東京へ帰る最終電車まで3時間ある。脇口社長に那智の滝へ連れて行ってもらった、なんと美しい滝なのだ、それにまわりの緑が深くて匂うようだ。

熊野那智大社、那智山青岸渡寺が隣同士で共在している。熊野信仰の中心地なのだ。

くじらでエネルギーを使い過ぎて、滝の話し、熊野信仰の話し、熊野古道の話しはまたにします。

電車に乗るまであと1時間ある・・・実は脇口社長は僕をお気に入りの「ぬる湯」へ連れて行こうと、1時間余裕を見ていたらしい、たぶん体温と同じぐらいの36、7度だと思う、ぬるいと感じるが、ゆっくり浸かっていると、身体の芯からほぐされる感じで、心身ともにリラックスする。社長とお湯に浸かっていると、岡本部長も駆けつけてきた、仕事中だが、ぬる湯に浸かって考え事をすると不思議と良いアイデアが出ると言う、う〜ん。まあそう言う事にしておこう。

と言う訳で、密度の濃い1泊2日の出張を終え、帰路についた。

しかし、まだまだ、終わらない、南紀勝浦から名古屋までの3時間半の途中駅に松坂があるのだ、松坂と言えば松坂牛・・これを喰わねば、食いしん坊として恥ずかしい。しかし、下車する時間がない、てな訳で、松坂牛弁当を食べる事に、この駅弁は完全予約制なのだ、電車に乗って車内販売の売り子さんに予約を入れると、松坂駅に着いたところで、作り立てを持ち込んでくれるのだ、1260円・・ちょっと高いが、そこは腐っても、いや、腐っていない松坂牛・・缶ビールを2本買い込み、子供の頃の遠足のお弁当を開ける時の期待と興奮そのまま再現したような、至福のときを得られるのだ。

さてさて、実際の評価としてはまあまあ、というか、ちょっと塩っぱかった、ご飯のおかず用に濃い味にしてあるのだ、ほんのちょっとかじっただけでビール1缶飲めそうなのだ。しかし、松坂牛故の興奮と満足感はあった思う。

とまあ、こんな訳で名古屋からのぞみに乗り、夢の世界へ。。。

2008年7月19日土曜日

那智勝浦の生まぐろ























仕事で那智勝浦に行って来た。紀伊半島の南東端にある温泉と漁業の町である。

延縄漁法による生マグロの水揚げ日本一の町である・・・他にも世界遺産の熊野古道、高さ日本一の那智の大滝、多くの温泉や風光明媚な海岸線・・まだまだある、最近ではホエールウォッチングも、隣町は鯨で有名な太地町。

今回は農水省の補助事業で新しいビジネスモデルを推進しているマグロ業者の視察に行った。

しかし、那智勝浦は遠かった、東京から新幹線のぞみで名古屋まで1時間45分、名古屋から特急に乗り紀伊勝浦まで4時間半・・約6時間の行程です、お陰で本が2冊読めた。羽田から南紀白浜へ飛行機で飛んで、あとはレンタカーと言う行き方もあるが、この時期1日2本しかなく、時間が合わなかったことと、委託先の財団法人の予算の問題か???ま、久々にゆっくり電車の旅ができたので、それはそれで良かったのだ。

さて、当日は夕方現地入り、まずはホテルに、一緒に行った財団の担当者が取ってくれたのは、ホテル浦島?どこかで聞いた事がある、それに旅費は限られているから、いつもはビジネスホテルなのに、大丈夫なのかと心配になる、それとなく聞いてみると、ビジネスホテルと変わらない料金だって・・・ほっとした。

さて、ホテルについてびっくり、なんと島全体がホテルなのだ、渡し船で島へ渡り、フロントで手続きを済ませ、部屋に案内されるが、なんと超長〜〜いエスカレーターで島の頂上にある棟へ、地上33階だと・・・さて、荷物を置いてまずはマグロを食べに。

町の小さなお店に案内され、マグロの町でしかお目にかかれないような、内蔵ものや卵などなど食べました。いつものように酔っぱらって写真を撮るのを忘れてしまいました。

そのかわり、翌日早朝に市場に行き、マグロ漁船から揚ったばかり、セリ前のマグロを撮ってきた、また、新鮮なマグロの見分け方も伝授された。ここでこっそり教えちゃいましょう・・・でも、まぐろ1本買う事なんてないから、余り役に立たないかも。

さて、近海マグロ漁は出漁してだいたい1ヶ月の行程なんだそうだ、だから、はじめに獲れたまぐろと帰る間際に捕れたマグロでは1ヶ月の時間差が・・・だから鮮度の違いがあるのです。遠洋マグロ漁は船内で急速冷凍するから変わらないけど、近海の舟では、チルド保存だから。

人もマグロも目は口ほどにものを言う・・らしい。。。写真のマグロを見て下さい。目が青っぽく透き通っているのは新鮮なやつ、それに引き換え、誰かさんのように、濁った目をしたのは・・一目瞭然です。

それから、それから、朝青龍のだめ押しは、えらなの、えらが赤いのが新鮮で、日が経つと白っぽくなってくる、これで一発で解ります。ちなみにこの写真のマグロはメバチマグロです。本マグロは冬から春に掛けて揚るのだ。次回はこの時期に行きたい。

さて、さて、翌日は那智の滝へ行ったり、隣の太地町に7年来のお付き合いをしている鯨の仲買さん(〆谷さん)訪ねました・・これはまた明日書こうかな。

と言う事で、那智勝浦は本当に風向明媚なところで、海岸線を車で走っていると、兎に角奇麗でした。伊豆と似ているけど、もっと自然が残っていて、人も素朴で明るいし、温泉も良いし、また行ってみたい。


2008年5月31日土曜日

究極のトマト狼桃のカリー











最近、阿佐ヶ谷荻窪引き蘢り状態です。引きこもっていても美味しいものを欲してしまうのは生来の食いしん坊DNAの仕業なのでしょう。

さて、とっても嬉しい情報です。四万十川の上流で本当に美味しいトマトを作っている農家があるのです。DMファーマーズの野中さんご夫婦(写真左)です。トマトの原産地アンデスに近い環境でトマトを育てています。そのトマトは「狼桃」と言いますが、酸味と甘みのバランスがとれた究極のトマトなんです。大好きなカレー屋さん、荻窪の「インド風カリーライス すぱいす」のオーナーシェフの佐藤さん(写真右)に狼桃でカレーを作ってみませんかとトマトを持参したのです。佐藤さんはこのトマトを気にってくれて、遂にすぱいすのカリーと狼桃のコラボレーションが誕生しました。

早速食べてきました。通常のカリーソース(鶏ガラスープがベース)にトマトピューレを加え、少々酸味を出したソースにグリーンの狼桃をクラッシュし、少し煮込み、湯むきしただけの狼桃を丸ごと入れたものです。フレッシュはハーブの清涼感のある香りとともに狼桃の美味しさを際立たせています。さすが佐藤さん・・・それに狼桃

今回は狼桃64個を送ってもらいましたので、多分3、4日で売り切れてしまいそうです。次の収穫は来週後半か再来週の頭になりますが、それが今シーズンの最終収穫です。また、来年の4月まで食べられないんです。

もう一度食べた〜い。そうそう、すぱいすには他にも美味しいカレーが色々あります。それぞれ素材にこだわり、そーすにこだわった本当に美味しいカレーです。イベリコ豚のカリーもお勧めです。こちらのイベリコ豚も2年前に佐藤さんに勧めて作ってもらい、大人気になったものです。多くの食いしん坊に食べてもらいたいです。

2008年5月10日土曜日

有朋自遠方来、不亦楽乎。













21年前、大連外語で学んだ同学・・川瀬明彦くんがマレーシア、シンガポール、香港、蘇州の長い海外勤務から東京勤務になり、家族で帰国した。

海外勤務の時も帰国すると良く訪ねてくれて、一緒に飲んでいたが、今回は本帰国と言う事で、これからちょくちょく飲めるようになったのは嬉しいことだ。友遠方より来る、亦楽しからずや、遠方から近場に越して来たのだ、こんな楽しいことはない。

荻窪で待ち合わせ、もつ焼きの加賀藤でホッピーで乾杯した。川瀬くんはホッピー初体験だそうだ、労働者の酒だよって勧めたら、気に入ってくれたようだ。そのあと、いつものようにはしご酒・・阿佐ヶ谷にもどり、居酒屋「だいこん屋」餃子屋「豚八戒」・・・

1986年〜89年まで大連外語学院で漢語を学んでいたとき、彼はある商社から中国語を学ぶために派遣されていた。僕らは1日1.5ドルか2ドルの留学生寮にいたが、彼は高級ホテル「南山賓館」に宿泊していた。留学と言っても、会社派遣となると大変だ、仕事として中国語を会得しなければならないのだから。ホテルで鉢巻きをして勉強する姿を見た事て恐れ入ったことを覚えている。

たまのリクレーションで卓球をしたりもしたが、彼の攻撃は相手の虚をつく事が多く、僕は商社マン攻撃と呼んでいた。

川瀬くんと飲むのはとても楽しく、色々は話しが盛り上がる、世の中の事、商売の事、食い物の事、酒の事・・・いつも終電を過ぎ、タクシーで帰らせる羽目になる、昨日は終電で帰すと約束していたが、やはりいつものようにタクシー乗り場で手を振った。長年連れ添う奥様と柔道修行している息子さんに可愛いいお嬢様がいるのに、ほんとごめんなさい。

そうそう、留学生仲間と言えば、岡田勝くん(当時神戸外大の1年生)も1年間一緒に勉強した。一緒といってもこちらは初級班、彼は高級班で当時からずば抜けて中国語が上手かった。寮の向かいの部屋で、良く白酒(1本50円ぐらいの安い白酒)を飲んで議論していた。一つ彼の知らない事を暴露すると、白酒を飲んでへべれけになった彼が寮のトイレの小便器にげろして、便器が詰まった事件があり、僕が素手で便器を掃除したのだ、その頃彼は夢の中・・・今のようにデジカメがあればブログに載せたのに、残念。

大学卒業後外務省に入り、外務省の中でもぴか一の中国語の使い手として、代々の首相の通訳をしている。この度も福田総理の通訳として胡錦濤国家主席の側にいて毎日テレビに出てくる。

2008年5月8日木曜日

映画の楽しみ方



立川での仕事を終え、ちょうど観たかった映画「ゼアウィルビーブラッド」を上映していたので観る事にした。チケットを買おうと思うと、既に上映開始されているので入れないと断られた・・・まだ10分しか経っていないし、別に困らないから入れて下さいとお願いしたが、だめだった。

最近の映画館は入れ替え制になっていて、すっごく不便だ。父は映画が大好きな人で、僕も子供の頃から良く映画に連れて行かれた。父は映画の途中でも平気で入り、次の回の観たところまで観て出る。いつもこんな見方で、当時は嫌だった。しかし、いつの間にか僕自身も映画はどこで入っても平気になった。もともと映画はカット事に撮り、最後に編集する。だから途中から観ても、頭の中で編集すれば良いのだ。時にはディレクターズカットよりも良い物になる場合もあるかも。

入れ替え制だと空いた時間に好きな映画を観る事ができない、上映時間に合わせなくてはならないから、自分の都合で観られないのだ。これはなんとかして欲しい。

どうしても観たかったので、次の上映まで3時間、時間をつぶすことにした。ゆっくりと昼飯を喰い、古本屋で本を買い、電気量販店でPCを見て、街をぶらぶら・・・まだまだ時間がある。しょうがないので喫茶店に入った。ルノワールだ。この喫茶店はあちこちにあるが、どこも広いスペースとゆったりとしたソファーが売り物だ。学生時代には体育館と呼んで重用していた。紅茶を飲みながら本を読んでいると、後ろの座席から独特のイントネーションでの話し声が聞こえて来た。茨城弁だ・・・何とも愛嬌のある訛だ、この言葉を話す人は悪い人に思えない、不思議な訛、この訛を使って人をだます事はできないような気がする、振り向くと、50代のおばさんが楽しそうに話している。底抜けに明るい茨城訛の井戸端会議を聞いているうちに映画の始まる時間になった。

ゼアウィルビーブラッド・・アカデミーショー主演男優賞、撮影賞を取った、大好きなダニエルデイルイス主演の映画だが、壮大な舞台の割りに、力が入り過ぎ、今ひとつ深い感動が無かった。少々腰砕けでした。残念。。。

写真は立川駅の立川中華街「孫」で食べた海鮮お粥と大根とホタテの饅頭、まあまあです。

2008年5月3日土曜日

阿佐ヶ谷 美味しいはしご喰い


久々のブログ・・・いつも書こう書こうと思いながら酔っぱらって寝てしまうのです。

世の中は大型連休の後半だと言う。昨日(5月2日お昼)〜今日のお昼までの食いしん坊なはしご報告です。

昨日のお昼は阿佐ヶ谷で言った事の無いイタリアン・・シェナーベに行ってみた。サービスの女性は感じが良く、てきぱきと動いていた。ランチタイムは2種類のランチメニューしかなったので茄子のトマトソースのパスタコースを注文する。これにサラダとデザート、コーヒーがつく。オーソドックスでしっかりとした味のトマトソース。ただ、おばちゃま軍団の話し声が大きく長居はできない。

さて、夜のソースはお魚の美味しい海舟・・・ここは時々のれんをくぐるがいつも新鮮で美味しいお魚があり、盛り合わせ1人前1200円でボリュームもある。本日はかつおの刺身、蛸、小イワシ、さより他でした。その他の料理も安心して頼めるのだ。この他、新ジュンサイの酢の物、鯛の頭の塩焼きで生ビール2杯、日本酒3合飲んでいい気持ち。。。んで帰って寝ようと思っていたのに、帰り道に運悪く豚八戒があるのだ。席が空いている・・・よらない訳にはいかない。お腹いっぱいだし、汾酒とキュウリの干しエビ和えを頼む。ここはいつも心地よい。結局、汾酒と生ビールで気持ち良くなる。2時の帰宅。

今朝は6時に目が覚めて、コンピューターに向かい、やりかけの仕事を終える。朝ゴハンは揖保の糸を2束とトマトジュース1杯。

お昼は近所のラーメン屋?いや、そば屋の春木屋本店で塩ラーメンを食べた、これはなかなか良かった。中華そば680円なのに塩ラーメンは900円・・・何が違うのか、最高級の塩かはたまたスープにこだわりが・・・違いました、塩ラーメンには焼き湯葉と海苔、わさび、小梅が付いている。愛想の良い女将さんが、初めてだと言うと説明してくれた。ラーメンを食べる前に、海苔に焼き湯葉を巻き、わさびと醤油を付けて食べる。それからラーメンへと進む、お好みで七味を入れてと言って「原了郭の黒七味」を出される・・これは嬉しい。更に麺を食べ終わったら、小梅をスープに入れ、潰しながらスープを飲んで下さい、次からはご自由にお召し上がり下さいっと。

スープは至ってシンプル、物足りない感じはするが、最後まで飲んでしまった・・と言う事は美味しかったのか。お勘定をする時に愛想のいい女将さんに、焼き湯葉と海苔は何のためなんですかと質問してみた・・・スープが淡白なので口の中を湯葉でまろやかにしてもらうのだと、面白い。こんなこだわりが食いしん坊にはたまりません。

いやはや、昨日から喰ってばかり、3ヶ月で10kg落とす目標はどこへやら。

写真が無い物が多いのです、美味しそうな匂いを嗅ぐと写真を撮る事を忘れ、本能的に割り箸を割っているのです、そこからはオートマティック♬

2008年4月10日木曜日

阿佐ヶ谷のラグロッタ



阿佐ヶ谷にはいくつかの飲食街がある。一番にぎやかなのはスター通り、それに川端通り・・・ちょっと寂しいのが一番街・・・昔は凄く賑やかだったらしい。
駅前の横断歩道をパールセンターの方へ渡り、マクドナルドとパチンコ屋の間を入って行く細い通りだ。

トンカツ屋やカレー屋があり、居酒屋、串カツ屋、ラーメン屋、バー・・色々あるが、奥へ奥へと進んだどん詰まりのちょっと手前左にイタリア国旗を掲げた小さなお店がトラットリアラグロッタだ。

土佐出身ののんびりして気の良いオーナーシェフのお店。こちらが心配になるほど、のんびりしている・・・ディナー時は秋田美人がサービスしてくれる。
なかなかセンスの良いお料理を出してくれる、それにランチでもディナーでものんびりできる・・・これは店主にとってはちょいと問題。

写真は昨日のランチ(写真を撮ろうと思っていたが、ついつい先につついてしまい、見た目がわるくなっているのはご愛嬌でお許しあれ)

当日のメニュー、まずはオードブルにコールスローサラダにイタリア風茶碗蒸し(シェフに説明してもらったが、料理名を忘れた)、それに2種類のパスタ(イイダコとオリーブのトマトソース、アンチョビとブロッコリーのパスタ)メインディッシュはメカジキのグリル、最後はエスプレッソ。。。これだけ食べて1500円のランチ。パスタランチはオードブルかスープと1種類のパスタにコーヒーがついて900円(これはお買い得です)

ほんと、良い仕事しているのです。なのになのに一番街って人通りが少ないのです。
阿佐ヶ谷の飲み屋では口コミ作戦で会う人ごとに宣伝しているので、亀さんかでんでん虫ぐらいのスピードで広まって入るのですが・・・もっと流行って欲しいです。

夜もリーズナブルで美味しいイタリアンが食べられるのです。食いしん坊には嬉しいお店です。

2008年3月25日火曜日

胡弓奏者 王 霄峰

学而時習之 不亦説乎 有朋自遠方来 不亦楽乎 人不知 而不愠 不亦君子乎

昨日は13年ぶりに懐かしい人と会いました。
胡弓奏者の王くん・・・友人の紹介で知り合った頃の彼はまだアルバイトをしながら千葉大学に通っていました・・・今では立派な胡弓奏者として演奏会や個人レッスンなどで飛び回っているそうです。

初めて会った時、中国人特有のアクセントも無く、非常に日本語がうまいなぁって印象がありました。幼い頃から国家第一級胡弓奏者のお父さんに胡弓を仕込まれた耳の良さからでしょう。

今でこそ資本主義的な考え方や自由な風潮が多くなった中国ですが、まだまだ思想的に政治的な縛りのあるころでした、しかし、王くんは非常にリベラルな考えを持ち、何でもフランクに話しのできる存在でした。当時は映画づくりや写真に携わりたいと夢を語っていましたが・・・蛙の子は蛙・・・父、王全忠のDNAを色濃く受け継いだのですね。

それにしても13年ぶりに会ったのに、全く時の経過を感じませんでした。あの頃のままのシャイな笑顔を見て、何か胸の辺りがあたたまる想いでした。和食屋さんに入り、昔話から近況まで3時間ほど食べるのも忘れて話しっぱなし・・・久々に楽しい時間でした。

4月25日には代々木上原で演奏会をすると言うので、是非聞きに行きたいと思っています。
http://www.erhulive.com


2008年3月24日月曜日

最高のエンターテインメント「ドラリオン」


昨日娘二人とシルクドソレイユ「ドラリオン」を観てきました。
シルクドソレイユは14年前に初来日した時の「サルティンバンコ」を観て以来です。

原宿駅から代々木公園内の国立代々木競技場となりに大きなテントが設営されています。都会の真ん中にある大きなテントを観るだけで何やらワクワクドキドキしてくるのはなんでなんでしょう。小学生の頃観た木下大サーカスの思い出からか、テレビで見た世界のサーカスの記憶か? 何故かサーカスって言葉を聞くだけでときめきます。しかし、シルクドソレイユはサーカスの域を超えたホンモノのエンターテインメントでした・・・。開演からあっという間に非日常の世界に引き込まれ、3時間弱のトランス状態を経験しました。

「ドラリオン」は東洋のドラゴンと西洋のライオンを合わせた東西融合を象徴した造語だそうです。確かに中国の雑技団を思わせる演技やアラビアンナイトを連想させる音楽や衣装・・・アフリカや中近東、中国から演者を引き連れてシルクロードを旅して来た隊商が日本を訪れて来たようでした。

お決まりの道化師の登場で始まり、まだ中学生ぐらいに見える中国系女性の驚異的なハンドバランシング、超高度なジャグリング、秋田の竿燈を思わせるバンブーポールズ、スリル満点の近代的空中ブランコ、見た事も無いようなスピードトランポリン、新しい演出の玉乗り、シンプルながら訓練と熟練を要する輪くぐり、天井からたれる2本の布を使ったスリリングな演技、究極の縄跳び・・・兎に角驚きの連続、エンディングでは鳴り止まぬ拍手に5度、6度アンコール登場し、手を振る演技者たち、拍手のし過ぎで腕が疲れました。

時間のある人には観て欲しいと思います。会う人ごとに観た方が良いよって行って回ってます。4月6日が最終日です。時間つくって観に行こう!!!

年頃の娘達とはあまり共通する話題が無く、会話も弾まないのですが、ドラリオンを観た後は少し話ができました。久々に娘達と共有できる体験ができた事が嬉しかった。

2008年3月17日月曜日

東京深川手延うどん 麺二朗


前にも紹介したキッチンジローの会長、小林二朗さんが子供の頃食べたおばあちゃんの手作りうどんを再現したくて、稲庭うどんや五島手延べうどん、讃岐うどん、播州手延べ素麺などなどのうどんづくりを勉強して考え出した新しい手延べうどんが日の目を見る日が近づいている。
北海道産の2種類の小麦をブレンドし、二朗さんが育ち暮らす東陽町の自宅1階をうどん工場に改造して他に無いコシと香りを持つ新しいうどん・・・「東京深川手延うどん 麺二朗」を創り上げた。
小林二朗さんは都内に直営で27もお店を持つ会長さんである。しかし、小林さんとか会長とか呼んだ事はない、いつも「二朗さん」と呼ぶ。仕事仲間の縁でお友達になり、今回のうどんづくりのお手伝いをすることになった。

東京深川手延うどんのロゴをデザイナーにお願いしていたものができたが二朗さんは気に入らない。墨で書いた書のようなロゴが良いかなぁなんて言われて、思い出した。書と言えば、縁あって会員として参加(実際はほとんど欠席の幽霊会員)している日経新聞社の書道クラブの守田先生がいる。昨年の毎日書道展で最高賞をとられた女流書道家である。守田先生はほとんど出席しない駄目会員の僕にも優しく(口は悪い、お酒が入ると更に悪いが・・・)接して下さる。今回のお願いも快く受けて頂き、二朗さん共々大感謝しているのです。

さて、写真は先生に書いて頂いた「東京深川手延うどん 麺二朗」・・・才能のある方は羨ましい、字を書くと言う事で人に感動をあ与えられるなんてすごい!

2008年3月16日日曜日

食の祭典・・・フーデックス




3月13日幕張メッセで開催されているフーデックスに行ってきた。毎年3月に開催される食品・飲料の展示会であるが、兎に角規模がでかい、日本中の食関連企業や各県の食材、日本に食品を売り込みたい世界中の企業や生産者が集まるのだ。
毎年顔を出すが狙いは世界中のワインの試飲、日本中のお酒の試飲・・・お昼前から夕方までイタリアワインにはパルマハム、スペインワインにはハモンイベリコ、マッコリには本場キムチ、焼酎には焼きあご・・・飲めや喰えやの大盤振る舞いとは行かないが、試飲試食でお腹いっぱい・・・ただ胃袋を満足させるために行くのではない。毎年新しい発見がある。

今年はエキストラバージンオリーブオイルのテイスティングのセミナーに参加した。30人ほど入る会場が満員である。講師はシチリアから来たオイルの専門家○○氏・・・オリーブオイルのテイスティングは五感を総動員して見るのだと・・「色」を見て、「香り」を嗅ぎ、最後に味を見る。

色は黄色から緑色まである、深い緑色が新鮮なオリーブの色だと言う、香りは33〜34度ぐらいに温めると最も香るのだ(オリーブオイルを注いだ紙コップを温めるように片手で持ち、香りを閉じ込めるためにもう一つの手のひらで蓋をする数分温めて手のひらを外し、コップに鼻を突っ込んで一気に吸引する。)3つのサンプルでテイスティング・・確かに全然違う、日本で出回っている多くのオリーブオイルと称されるものは本場ではオリーブオイルとは呼べない代物である。ホンモノは本当にオリーブの香りがする。

さて、最後の味見に入る・・オリーブオイルには甘みと塩分は全くなく、酸味もほとんどない、あるのは苦みと辛味であると言うオリーブオイルの特徴から講義に入る。この特徴を持つオリーブオイルを味わうために舌の構造から説明をされた。舌先で甘みを感じ、側部で塩味と酸味を感じる。肝心の苦みは舌の奥で感じるのだ。とするとどうやってテイスティングするのか・・・舌の先にオイルを乗せる感じで口に含み、「いー」の口をして、「シー」と音を立てて息を吸うのだ、おじさん族が爪楊枝を使いながら「シーハー」やるその「シー」を思いっきりやるのだ。まず教壇の先生が「シー」参加者30名があとに続いて「シーシーシー」
前の通路を通る人々が振り返る・・・それでも「シーシーシー」・・・この方法で舌先から奥までオイルが舌を這い上がって行く、オー苦みと辛味を感じる。これがオリーブオイルの味なのだ、オリーブオイルの98%〜99%は脂質で残りの1〜2%にポリフェノールや葉緑素が含まれている、これが味を作るのだ・・・良質のオリーブオイルは「シーシー」とやると舌の奥で苦みと辛味を感じる、デパートなどのイタリア展やギリシャ展で試飲をしているからやってみて欲しい、違いが解ります。あとは好みで苦みの強弱、辛味の多少で選択する。

今年も良い勉強ができました、それにそれに毎年の楽しみでもある各国、各店ブースのお奇麗なお姐さん達、今年のミスフーデックス(これは筆者の独断と偏見です)タイランドの美女二人、韓国マッコリの冴水さん。番外編でサモアのラグビー選手のような立派な美男子(?)二人・・・食の祭典なのに食品の写真が無くてごめんなさい。

2008年3月3日月曜日

蒋さんと言う人



昨日は友人の蒋さん宅で晩ご飯をご馳走になった。
1990年2月から5月に掛けてタクラマカン砂漠のチャリクリクからカシュガルまで1500kmを駱駝で横断した。日中合同の探査隊に参加したのだ、70過ぎの女性から18歳の学生まで約80名の日本隊と40名の中国サポート隊の総勢120余名の大所帯である。一人一頭の駱駝を入手し一日30kmの行程を7〜8時間かけてのキャラバンだった。約2ヶ月掛けた旅の行程についてはまたの機会に取っておく、あまりに多くの事があったから簡単には書ききれない。

話を戻すと友人の蔣さんはその時の通訳である。優秀な人で日本からの要人が訪中したときなどに通訳をする、北京広報電台(俗に言う北京ラジオ放送である)にいた人だ。
彼も沙漠の旅で大きく人生が変わった、日本隊の女性と恋の落ち、来日して結婚したのだ。紆余曲折あっただろうと思う。しかし、現在、奥さんと一男一女の父として、学校で中国語を教える傍ら、NHKラジオの中国語講座の先生も務めている。

今の中国はこれまでに無い急速な発展の中で、多くの成功者はにわか成金として、湯水の如く、公私の区別なくお金をばらまいている。中国では公費を私用で使う事など当たり前・・・みんなやっているから他人のそれを見ても何とも思わない。自分がその立場になれば同じようにする事だから・・・と。

そんな中、蒋さんほど有能な人材をほっておくはずが無い、当然のように彼の友人知人は儲かる仕事に誘ってくる。妻子のある身で収入が圧倒的に増える誘いは魅力的だ。しかし、彼はこれらの甘い誘惑を受ける事を潔しとしない・・・中国風に言えば「男子漢」なのだ、日本語で言えば武士の魂を持った男とでも訳すかな。武士は喰わねど高楊枝・・・と言うよりも、誇り高いのだ。

昨日は彼の手作り家庭料理、鶏手羽と干しマツタケの煮物、豚肉と野菜の炒め物、ジャガイモのピリ辛炒め、海老の炒め物ニンニク風味。どれも中国家庭の味がする。ビールのあとはマオタイ酒を飲みながらしゃべり通した、気がつくと0時過ぎ、慌ててタクシーで帰宅。
今ではどこへ行っても中国人に出会う。お店で働く中国人、秋葉原や銀座を闊歩するお金持ち中国人、芸術の世界でも、教育の世界でも・・・拝金主義の商売人と言う印象の中国人とは違う豊かな才能を持ち、友情や信義を大切にする誇り高い中国人がいることも知って欲しい。

写真は彼の長男と一男一女の足だ。

2008年2月28日木曜日

52回目の誕生日

昨日は52回目の誕生日だった。もう誕生日が嬉しい歳ではない・・・何歳まで誕生日を喜んでいただろう。

少なくとも小学生までは嬉しかった、家ではご馳走が用意され、お誕生日プレゼントが待っていた。お年玉がもらえるお正月、プレゼントのあるクリスマス、プレゼントやご馳走のある誕生日・・・嬉しい記念日だった。

「お誕生日おめでとう・・・」お誕生日って何がおめでたいのだろう。生まれた記念日だから? 創立記念日と同じかな、記念日はおめでたい? 大辞林では「記念すべき出来事のあった日」とある。この世に生まれ出た日はおめでたい記念日、命日は人が亡くなった日・・これも記念日、しかし、おめでたくない。

おめでたい記念日、嬉しい記念日、悲しい記念日、どうでもいい記念日・・・色々な記念日がある。おめでたい記念日、嬉しい記念日が多い方が幸せなのかな。

考えてみると子供の頃の方が嬉しい記念日が多かった、今よりずっと多かった・・・今より幸せだったのかなぁ

どうも記念日になると考え過ぎる。まだまだ生きなきゃいけない、嬉しい記念日を増やすよう頑張ろう。

2008年2月25日月曜日

偶然出会う確率



久しぶりのブログである。 日記と同じで毎日書く癖がつけば良いのだろうが、何日か日が空くと書き辛い。
昨日面白そうな文房具屋とスプーン屋があると言うので国立まで行った。
まずスプーン屋へ、その店は「匙屋」と言う、国立駅から徒歩7、8分・・・牛乳屋の隣にある。よくあるモルタルアパートの1階に昔懐かしい引き戸のお店。中には人がたくさん入っていて、何か食べている。混雑していて入れそうにないので、先にもう1件の文房具屋「つくし文具店」へ向かうため駅に戻る・・・と、偶然「沙漠仲間」の磯谷さんに出会う。今は武蔵野美術大学で陶芸の非常勤講師をしている。偶然の出会いの挨拶を済ませ、何故国立?またも偶然にもつくし文具店へ行って来たと言う。これから後輩の陶芸家の展示会に行くと言う。つくし文具店に行った帰りに展示会に寄る事を約束して別れる。

さて、目的のつくし文具店・・・国立駅からバスに乗り、3駅目で降り200mほど歩く、住宅街の中にある小さなお店。中には店主とおぼしき人、そのお友達のように見える男女3人が座っていた。友人の家に遊びに来たような感じ、入るといらっしゃいと人懐っこい笑顔で迎えられる。小さな店の真ん中に展示台があり逆さまの傘がおいてある。傘を開くと骨が外側にある。傘を閉じた時に濡れた面が内側にきて、服を濡らさないのだと言う。。。ふむふむ、面白い発想の傘である(なんとここまでに記した匙屋、偶然出会った磯谷さん、つくし文具店、店主、その友人たち、逆さま傘・・・全然写真を撮っていない。記者にはなれないなぁ)

さて、目的のつくし文具店から磯谷さんの待つ展示会会場へ向かう、杏仁坊と言う中華レストランで開かれている。伊藤由梨さんの陶芸展・・・この作家さん若くて奇麗・あぁこりゃこりゃ♬。磯谷さんの後輩だ、食への興味が強く、美味しいパン屋を見つけ、感動して、4月からそこに勤めると言う、そのパン屋に僕も縁があった。また偶然のなせる技・・・大小の食器が並ぶ、土の温かさが残り、食いしん坊な人柄が出ている。値段が安い、無名の作家とは言え、力作の数々、僕も二つの食器を購入した。お酒を飲んでも、お茶を飲んでも良いと思う。因に800円と900円の焼き物である。

中華料理屋なので、ここで晩ご飯を食べる事にした。中国の味を残した今風のチャイニーズ、なかなかいける。。。これも写真が無い・・・何と言うことじゃ。いつもカメラは持っていると言うのに・・・今後気をつけよう。

いくつかの偶然で出会った焼き物で美味しいお酒が飲めることになる。偶然は本当に偶然なんだろうか。誰か教えて欲しい。

2008年2月5日火曜日

山根章弘先生を想う


雪の節分で思い出した。
今から10年ほど前、友人の誘いで折形礼法を習う事になった。東中野の山根章弘先生のご自宅にお伺いし、面接して、気に入ってもらえれば弟子にしてもらえる(自分では最後の弟子と自負している、実際には、最後は最後だが、全くの駄目弟子だった)
何故か解らないが気に入ってもらえ、教えてもらえるようになった。先生は名前のあつし・・・と呼ばれる。

折形は贈り物を包むために定められた礼法の表現方法だが、物を包むだけではなく、気持ちを包むのだ。折り方にはそもそもの理由がある。それは先生の著「日本の折形」に詳しい。

不肖の駄目弟子は折形が苦手・・・子供の頃から丁寧に物事をする事が下手で、雑なのだ。折形礼法にはもっとも向いていない。

しかし、先生は可愛がってくれた、折形にセンスの無い事はお見通し、先生の昔話は良く聞いた。戦争中南洋の島に見習士官として赴任し、お得意のアイデアで大手柄を立てた話、女子大の教授をしている時の、女子大生にモテた話、それに先生は折形は趣味が高じて第一人者になられたが、映画のプロデューサー(日本初のアニメ、龍の子太郎のプロデューサーでもある)やエチケット研究家としても有名。僕が子供の頃には日本テレビの11PMにも準レギュラーとして出演している。

山根先生の事を想っていて、ふと松下幸之助の人の見方を思い出した。松下翁は成功する人は「運が強そうで、可愛げがあり、後ろ姿が良い人」と言っていたとか。山根先生はそんなおじいちゃんだった。

自分の事を考えた・・・全然駄目だ。どれも自分で造り出せない、どうすればえんじゃらほい。

2008年2月3日日曜日

東京雪景色



今年の冬は寒い・・・今日も朝からの降雪・・・1月23日の初雪よりも降ったような気がする。
朝起きて公園まで雪景色を撮りにいく。公園の手前にいる優しい顔した二人のお地蔵さん。

雪が余計なものを覆い隠し近所が明るく奇麗に感じる。
窓から降りしきる雪を眺めて一日過ごす。写真を撮りに公園へ出かけただけで一歩も外に出なかった。

今日は温かいものを作ろう・・・鍋にするかななんて、買い物に出かけていないので、出汁昆布と削り節で一番出汁を取る。昨日八百屋でみつけたカブと残り物の白菜をメインに余っているジャガイモ、ニンジン、それにベーコン、鴨の薫製、トマトも入れよう。和風の一番出汁で野菜たっぷりスープを作った。
スープができるまでポテトチップスとチーズで缶ビールを2本・・・できたてのスープで赤ワインを2杯。隣の家の壁と我が部屋の窓の1mの隙間に雪がしんしんと降り注ぐ。一人で寂しいけど落ち着いた時間だ。
夜になってシャトルシェフに入れておいたスープを肴にビール代わりに冷えた白ワインを飲む。スープが一段と美味しくなっている。売り物にできそう、レストランでもなかなかお目にかかれないほど美味しい・・明日の朝はご飯を炊いて食べよう。

2008年1月28日月曜日

贅沢湯豆腐

昨日は大阪女子マラソンや大相撲の千秋楽があったのでお家でテレビっ子でした。寒い事もあり、コタツ代わりに久々の湯豆腐を作った。 基本中の基本、鍋の入門編と言って良い。

鍋に水を張り、出汁昆布を1枚、豆腐、ネギ、キノコ類など入れて火にかける。

沸騰して来たら好みの付けダレ・・・ある人は鍋の出汁と醤油にかつおの削り節、僕はポン酢に紅葉おろしがお気に入り。

しかし、今日はちょっと贅沢・・・とは言ってもささやかな贅沢である・・・塩鱈と豚バラ肉を入れる。塩鱈がよくあるが、豚バラ肉は余り入れない、一度お試しあれ、これが美味しいのだ。昆布と塩鱈の出汁に豚バラの出汁と脂が加わると不思議に優しい旨味がでるのだ、好みで薄口醤油か塩で味を整えれば、そのままで美味しい、好みで柑橘をしぼっても良い。

本日の具材は塩鱈、豚バラ肉、寄せ豆腐、ネギ、えのき茸、白菜にたらの白子を入れた・・・ほいひぃぃのでした。

一人鍋だったのがちょいと寂しかったがほのぼのとした食いしん坊な鍋時間を楽しみました。

2008年1月26日土曜日

元気の素

今日の食いしん坊日記・・・最近洋物が多かったので、身体が美味しいお魚を求めていた・・・阿佐ヶ谷にある海舟にいく。

阿佐ヶ谷のスターロードにある間口の小さい小料理屋だ。 ご主人と奥さんの二人三脚でいつも美味しいお魚が食べられる。

殻つき生ガキ3個をレモンで食べ、自家製の一夜干し柳かれいを炙ったもの、国産の立派なはまぐり焼き、それにメジマグロを辛味大根で合えたもの。いやいや美味しかった、更に更にしめ鯖を注文すると白魚と鮪の中落ちをサービスしてもらった・・・こう言うのが嬉しいのじゃ。

お酒は生ビールを2ハ杯、秋田の純米酒「雪の音」と宮城の純米酒「浦霞」、お酒も升の中に上品なグラスが入っていて、升とグラスの表面張力の限界までついでくれる・・・これがまた嬉しい。

お腹いっぱい、嬉しさいっぱいで満足満足・・・さて、明日からまた頑張れる。

2008年1月24日木曜日

阿佐ヶ谷 豚八戒



















昨日の東京は初雪で身体が芯まで冷える寒〜い日でした。
朝から晩ご飯は温かい鍋じゃ〜と心に決めて、夜になり、寒さが尋常ではないので湯豆腐では物足りない、やはり身体を芯から暖めるホットな鍋でなきゃって・・・もう、麻辣湯しかない!

暗くなるのを待ちわびて近所の中国家庭料理や「猪八戒」(豚八戒が正しいらしい)へ走っていったのでございます。
いつものようにジャガイモの千切りを塩とごま油、鷹の爪で合えたもの、羽根つき餃子、それにお目当ての麻辣湯にゃのです。豆腐、キャベツ、豚バラ肉、センマイ、湯葉を辣油と花山椒のきいた辛いスープで煮て、更に辛い味噌とニンニク塩(おろしたニンニクに塩とごま油を加えて擦り合せたもの)を付けて食べる・・・これが辛くて痺れて美味いのです。
写真は餃子とジャガイモの千切りです、このあとは食べる事に集中して撮るのを失念してしまいました・・・麻辣湯の写真はまた今度。いやいや暖まりました。 ついでにこの10年ものの紹興酒も美味かった。

ところでこちらのご主人は外国で仕事したり放浪したりしていて帰国し、中国はハルピン出身の美人妻を娶ったのであります。ここ阿佐ヶ谷「豚八戒」ではハルピンの家庭料を美味しく食べさせくれるだけではなく、お二人の人柄で癒されるのです。週に2、3回は通ってしまうのです。

2008年1月23日水曜日

2008年 初雪


東京の初雪です・・・窓の外はふわっとした大粒の雪が降ってる。

何となく嬉しくて公園へ走って行って写真を撮ってきた。いつもは近所の子供達が遊んでる滑り台に初雪が積もってる。

若い頃・・・27、8年前かな・・・冬の間、長野県と新潟県の県境にある斑尾高原スキー場のペンションに住み込んでバイトした。11月から雪解けの4月ぐらいまで、2年間毎年冬は雪の中。それはそれは雪深い所で毎朝の雪かき・・・なんてもんじゃなく、小型の雪飛ばし機とスコップで早朝着くお客さんが通れるようにするのだ。これが辛い。何日か吹雪が続くと駐車場の車も見えなくなる、車の数メートル上まで雪が積もっている、子供達は車の上をスキーを滑らせてスキー場へ向かう。屋根に積もった雪を下ろす、積もった雪の重さで屋根が潰れからだ。これがまた危険な作業で、毎年命を落とす人がいる。友人のペンションのオーナーもこの事故で亡くなった。

さぞかしスキーが上手いだろうと思われるが、さ二あらず、休憩時間は暖炉のまわりで丸くなっておりました。行きたいところへ行けるぐらいは滑れますが、まあまあの腕前です。それにもう20年以上滑っていないので下手な技も錆び付いていることでしょう。

雪は奇麗だが危険だし、雪国の人にとっては厄介なものだ。内側にはいつも外野に解らないことがあるものだ。

さて、雪が降って寒〜い晩は鍋で一杯やりたいものだ・・・今日は何鍋にしようかな。。。

2008年1月20日日曜日

全日本鍋物コンテスト


今日は第12回全日本鍋物コンテストでした。

一応12回を一つの区切りにしようとのご挨拶の後、いつものように参加チームのにぎやかな鍋作りが始まった。

年に一度、鍋コンの場でしかお目にかからない人が7割ぐらいかな、でも、いつもとても楽しい。鍋も美味しさや優勝、賞品・・・これも楽しみだが、何が楽しいって鍋を作りながらの和やかな雰囲気が最高。。。

今年も切羽詰まって前日の夜考えた鍋で、人気投票は8チーム中6位、まぁ自分たちは自分の鍋可愛さで・・・なんで???なんて思いましたが、それはそれ、不思議な満足感のある大切な行事なのです。
今年のチームは風戸先生と娘の桃子ちゃんに前々日に助っ人を頼んだ工藤雄飛くんに尚美先生・・・今年の鍋は「辛〜い黄金ワンタン鍋」・・・一番出汁に豚バラを加え、ホタテの貝柱と鶏のひき肉のワンタンと冬野菜たっぷりの美味し〜い鍋、しかし、人気投票の結果は6位・・・残念。。。でも美味しかったのにぃぃぃぃぃぃ

鍋コンの出場者の8割ぐらいは、もっと続けて欲しいと思っているような感じでした。しかし、実際に準備をして下さった辻さんやゆうりさんのご苦労は大変だったと思います。

来年は若い者で少し雰囲気を変えて開催したいなんて密かに企みを膨らませている次第であります。


ぬひぃっ

2008年1月16日水曜日

インフルエンザもどき


先週金曜日から喉が痛く、土曜日には熱も少しできてきて・・・むむっ風邪引いたかなって思っていたら、土曜日の夜には39度2分まで熱が上がり、咳やくしゃみで夜も眠れなかった。

日曜日、タクシーで阿佐ヶ谷の病院へ行き、症状を告げると、なんと待合室から検査室に隔離され、インフルエンザの検査をすると言う・・・看護士さんにくしゃみが出そうになると思いますができるだけ我慢して下さいと言われながら鼻の穴に槍のように長い麺棒を通された。それでなくともくしゃみが出そうだった所へ、脳みそに届くかと思うほど麺棒を差し込まれて、優しそうな看護士さんの顔面に向かって嵐のようなくしゃみをしてしまった・・・。看護士さんはインフルエンザの予防接種をしているのだろう、平然としていた。部屋を出る時に鼻をかんだティッシュペーパーはゴミ箱に捨てず、この袋に入れて下さいとビニール袋を渡される・・・インフルエンザウィルスとはそんなに強力なのか。。。

10分ほど待つと看護士さんが帰ってきて、インフルエンザの反応は出ませんでしたと伝え、ティッシュはゴミ箱に捨てて良いと許可をもらう。

その後の診察で院長先生に風邪だが熱の出様が尋常ではないのでおとなしくしているようのと言われ、粉薬と液体の漢方薬と抗生物質をもらい帰宅。その夜一晩は熱も下がらず苦しんだが、翌日から少し楽になり、火曜日(昨日)から起きて歩けるようになった。

いやいや、年初めに毎日ブログを書こうと決めたが、あっという間に途切れてしまった。

この年の目標はブログをできるだけ書くに変えよう。

2008年1月11日金曜日

ジローさん


フリーになって初めての仕事がキッチンジローのインターネット通販サイト作り。

都内に30店舗ほどの直営レストランを持つ洋食屋さんだが、創業者で会長さんの小林二郎さんがとてもバイタリティのあるアイデアマンなのである。

洋品店を営んでいて、先行きを考えカレー屋に転業して成功した立志伝中のひとである。カレーも三笠会館のシェフに教えをこい、それを今でも忠実に守っている。

洋食屋さんの仕事で必須なのがタマネギの皮むき・・・これを大量にするのは大変な労働である。そこで、なんとか効率良くタマネギの皮をむけないかと試行錯誤して造り出したのが、タマネギの皮むき機・・・玉ジローだ! 一つの機械に何十と特許が詰まっている。これを機械の設計屋さんと二人三脚で作り上げた。これは東京12チャンネルのワールドビジネスサテライトでも取り上げられている。

兎に角元気で、笑顔が素敵なおじいちゃんなのだ。

打合せで会う度に元気をもらう感じ。

ちょっと風邪気味だがジローさんに負けないように頑張ろう


2008年1月9日水曜日

風邪の引き初め

昨日は仕事の打合せの流れで新宿三丁目の焼き鳥屋で一杯飲んで帰りました。

普段自宅で仕事しているのであまり外に出ない私は免疫力が低下しているのかも知れません。

昨夜から喉が痛く軽い咳が出ます・・・悪化しないようにせねば。。。しかし、今日は楽天の飲チャーネットションプを繁盛させるセミナーに参加する予定なのです。

もう一休みします。

2008年1月7日月曜日

七草がゆ



今日は1月7日 正月七日に無病息災を祈って七種類の草を入れたお粥を食べて祝う行事。

七草とはセリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベ、ホトケノザ、スズナ、スズシロを言う。

スーパーに七草セットがあったので買ってきて、生まれて初めて自分で作ってみた。少しの塩味をきかせた七草がゆは草の匂いのする清貧な印象のお粥だった。

食べていて胃腸だけでなく、精神までが清浄されるような気がした。

伝承される文化や習慣には必ず理由がある・・・七草がゆにも当然あると思う。無病息災を祈るだけではなく、お正月のご馳走やお酒で疲れた心身を癒す・・・良い事だと思う。

これから歳時記や言い伝えをゆっくり勉強してみようと思う。